続・介護の現在進行形
“老い”を生きる、ってどういう感覚なんだろう。 “老いの不自由”を支えるって、どういうことなんだろう。“老いても地域で暮らす”って、難しいのかな。
1+1=3、ではない
難しいけど、
考え続けたいことがあります。
認知症かもしれないと不安を抱くご本人への援助と
そのご本人と同居しているご家族への援助の間には
答えが一つとは限らない場合があります。
あっちをたてればこちらがたたず、
みたいにどちらか一方を援助すればいいわけではない。
バランス、といえば簡単ですが、
そのバランスをとることさえ容易ではない。
そんなことを昨日も感じました。
昨日はある女性利用者の
サービス担当者会議がありました。
その方は小規模自主デイを利用されていて、
既存のデイサービスは
以前なら全然続かなかったけども
少人数の良さ、
記憶や認知の障害レベルが似ている方々の集まり
という環境要因、
同じ地域に長年住んでこられたという親しみ感、
そういった“ほんのちょっとの良さ”が
「あそこなら行ってもいいわ」
と思われたようです。

昨日の会議には
同居されている息子さん夫婦の他、
ケアマネ、訪看スタッフ、ケアスタッフとして私、
そして主治医が参加してくれました。
話の流れとして
まず、ご本人が抱えておられる不自由に
いかにまわりの人間が関わり、
援助して行くか、という話題になったのですが、
参加されたお医者さんが、

「医者として心配なのは
 ご本人の骨折が再び起きないか、
 という点。
 そのことは、独居だったご本人に
 息子さんご夫婦が同居してくださたので
 医療の立場としては安心、
 ほんまに良かったなぁ、と思っています。
 で、今、心配なのは
 同居されているご家族、
 とくにお嫁さんのことです。
 嫁と姑というのは
 まぁ、認知症がなくっても
 うまくいかないことが多い。
 そこにもってきて
 病気とはいえ、
 家族でもなかなか受け止め切れない
 いろんなことをご本人は
 言ったりされたりするわけやから
 お嫁さん大丈夫かいな?
 って思うわけです」

と言われ、議論の流れは徐々に
家族をどう支えるのか、
という点に変わっていきました。

お医者さんの話を受けて
お嫁さんが心のうちを明かしてくれました。
病気ゆえの言葉、行動なのだから
私は嫁としてちゃんとお世話していきたい、
という思いはあるものの、
心が傷ついてしまうような場面が日常化していて
本当に辛い、
そんなお話を涙ながらに話されました。

お医者さんは

「とくに認知症の方をどう支えて行くのか
 という話になると
 やっぱりどうしても
 ご本人に寄った話になってしまうんですね。
 それは悪いことやないんですけど、
 じゃあ、その周囲の人、
 たとえば若いご夫婦のしんどさは
 どうでもええのんか、となる。
 僕は、たとえば
 海で溺れて、一方の手に親、
 もう一方の手に嫁と子、
 そんな状況で、どっちかの手を離さないと
 全員溺れてしまうとしたら、
 絶対親の手を離します。
 じいちゃん・ばあちゃん、息子・娘・嫁、子供、孫、
 その順に命の限りを迎えるのは道理。
 だからといって
 じいちゃんやばあちゃんはどうでもええ、
 とは言わないけれど、
 若い世代が泣きたい事も辛いことも全部我慢して
 その上でじいちゃん、ばあちゃん笑ってても
 それはあかんやろう、という話なんです」

と話を続けられました。
たぶん、前段の話のなかで、
ご本人にとっては
一方的に同居を迫られてしまって
ご自分の役割までも
奪われてしまった感があるのではないか、
たとえば食事をお嫁さんと一緒にするとか
そうしたことをお嫁さんに協力いただいて、
と訪看から提案されたことに
お医者さんは“待った”をかけたのだろうと思います。

僕はそのお医者さんのお話は十分良くわかった、
んだけども、
ケアをさせてもらって
また何度かご家族とお会いさせていただいていて
もう少しご協力していただきたいと思っていたのは
実はお嫁さんではなくて
息子さんに、でした。
息子さんはお母さんの今のご様子を
やはり受け止めきれていない、
そんな印象を実感として持ってしまうのです。
どこかでお嫁さん任せにしておられる。
今のお母さんから受ける印象に
圧倒されてしまって
その背景にあるものについては
知ろうとはされない。

息子さんがとても客観的に
「母はすでに異常です。
 それ以外でもなんでもない。
 そのことはもうわかってます」
と言われた時にも
それを感じました。

でも、たとえばそのご本人は
CTなどの脳の画像検査を受けておられません。
それは息子さんの意向によるものです。
「そんなのは撮らなくても
 十分、ボケている
 とわかります」
と言い切られます。

意向ならしょうがないとは思うのですが、
ボケたと感じられる言動、行動だけをとって
「ボケている」と切り捨ててしまって
ご本人の心に寄り添えるのだろうか、
と思うのです。
まして、
“息子を一番信頼している”
といつも言われているご本人への援助に
息子さんの受け止め方は
かなり大きく影響するように思えます。

タイミングやその検査を行うにあたっての配慮は
十分に、慎重にしないといけないとは思いますが、
治る可能性のある認知症かどうかの見極めはもちろん
認知症をケアする側が受け止めるのにも
画像検査を含めた専門診断は必要、
というのが僕の今の考えです。

ただ、昨日出席されたお医者さんは
(老医師、というには少しお若いですが、、)
「僕も昔は白か黒かを
 はっきりさせないと気がすまなかった。
 けども、
 少し長い年月を生きてきて
 今は、
 1+1は2、
 と言い切れるものではなくて
 1+1は3じゃない、
 1+1は1でもない、
 っていう考え。
 ずるいかもしれんけど、
 そのくらいにしておいたほうが
 結果、うまく行く場合もある
 ってことかなぁ。
 ただ、僕もあなたくらいの年なら
 画像撮ってちゃんとハッキリさせよう、
 と思っていたやろうけどね」
と言われました。


簡単に「そうですね」
と受け入れられないご意見でしたが、
ちょっと考えさせられたお話でした。

でもハッキリしたことは
専門診断するからには
その後のケアをしっかりしておかないと、
ということです。
たとえ、ご本人にその場しのぎの話をして
検査、診断を受けていただいても
その後、やさしく、
ご本人が安心できるケア環境がないと
その検査や診断はまったくの無意味なものとなる。
そのことだけは、
あらためてハッキリとわかった気がします。

でも、親子って、
そこにある心情って
簡単やないよね。

 

テーマ:心に残る言葉 - ジャンル:福祉・ボランティア

【2006/05/21 13:15】 | 認知症 | トラックバック(0) | コメント(0) |
<<認知症の人の言葉 | ホーム | 『ケアってなんだろう』を読む -2->>
コメント
コメントの投稿












管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバックURL
http://taro0o0o0o0o0.blog63.fc2.com/tb.php/16-3bcfd44a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |
プロフィール

taro0o0o0o0o0

Author:taro0o0o0o0o0
63年生まれ、大阪府在住、京都府に通勤。ちなみに写真は僕ではありませ〜ん、セルメン知ってる?

カレンダー

11 | 2008/12 | 01
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

フリーエリア

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

Powered By FC2ブログ

Powered By FC2ブログ
ブログやるならFC2ブログ